ジェリー・ブルードス:根っからの快楽殺人鬼

出典

 

 

馬鹿につける薬はない。よく知られていることわざですが、「この快楽殺人鬼をまっとうにする方法はない」という言葉がピッタリなシリアルキラーといえば、ジェリー・ブルードス(1939~2006)でしょう。

 

靴フェチから始まったブルードスのダークファンタジーは、やがて女性をコントロールし、殺人へと移行します。さらに、犯行を重ねるごとにその手口はエスカレートし、まるで頭に思いついたことをそのまま行動に移しているようでした。

 

 

この記事では、女性の靴と死体に異常な興味を示したジェリー・ブルードスについて、その「異様さ」にスポットを当ててみたいと思います。

 

 

今回参考にした動画

 

 

ジェリー・ブルードスの生い立ちと事件の概要

ジェリーは、1939年1月31日、サウスダコタ州ウェブスターで誕生する。

 

ジェリーの前に、すでに男の子を授かっていたジェリーの母親は、「女の子が欲しかった」と、息子にあまり愛情を示さなかった。

 

ジェリーは5歳の時、女性のハイヒールを履いたことをきっかけに、ほかの遊びに興味を示さず、ハイヒールを履いて遊ぶようになる。それを見た母親は、強制的にやめさせるが、しばらくやめて、また遊び始めるの繰り返しだった。

 

ブチギレた母親は、ある日ハイヒールを処分してしまう。

 

 

16歳の時、ジェリーは隣に越してきた家族の娘に興味を抱き、下着を盗んだ。下着が見当たらないと訪ねてきた娘をナイフで脅し、彼女の裸体を撮る。その後、別のティーンに暴行を加えて逮捕されるが、その際、隣人の娘に暴行を加えたこともバレて再逮捕された。

 

逮捕されたジェーンは、精神病院に入れられる。そして、入院期間中、女性を地下牢に監禁したいという妄想をふくらませる。しかし、精神科医はそれを見抜けず、ゲイリーを普通の高校に送る。精神病院から高校に通い、1957年に卒業する。

 

精神病院に入院してから9ヶ月後、ジェリーは統合失調型パーソナリティ障害と診断されたにもかかわらず、社会に危害を加えないと判断されて釈放された。

 

1958年に軍隊に入隊するが、ダークファンタジーが頭をもたげ、面接した精神科医は、ジェリーの異様さに懸念を示し、除隊扱いとなる。除隊後は再び母親と同居した。

 

ジェリーは、ラジオ局のエンジニアとして働き始める。そして、1961年、17歳のティーンと出会い、翌年結婚。

 

2人の子供に恵まれたが、妻にハイヒールを履かせ、それ以外は何も身に着けずにで事をするよう命令するなど、アブノーマルな行動が見られた。家族に内緒で下着ドロも続けていて、盗んだ下着はすべてガレージに隠した。

 

ガレージは、ジェリーだけが自由に出入りでき、妻はアクセスする前に、インターコムでジェリーを呼び出す必要があった。ジェリーはそこにハイヒールや下着を保管し、時々それらを身に着けて楽しんだ。後にこのガレージは、被害者の遺体を保管するスペースとしても使用される。

エスカレートする犯行

ブルードスの犯行を見ると、被害者に対して加える危害が、どんどんエスカレートしていくことがわかります。

 

1968年、ブルードスは最初の殺人を実行します。
被害者を殺害し、ほかの女性のハイヒールを履かせた後、のこぎりで左足を切断し、それを冷凍庫に保存しました。

 

いろいろなことを試してみたい、という欲求を満たすかのように、ブルードスの犯行はどんどんエスカレートします。

 

例えば、2番めの被害者の遺体を自宅のガレージに吊るして殺害し、5日間遺体を弄びました。

 

逮捕されるまでにブルードスは、4名の女性の生命を奪いましたが、中には死姦され、型を取って記念に残すために、乳房を切り取られた被害者もいました。

 

話を聞いただけでもおぞましいのですが、このように、ブルードスは妄想を現実化させました。
そして、ほとんどの被害者の写真を撮影したのです。 

 

巧妙化するプレデター

ブルードスは2度女性の拉致に失敗しています。
そして、次は失敗しないようにと、拉致方法を工夫しました。

 

1969年4月21日、ブルードスは公共の駐車場で、24歳の女性に銃を突きつけ誘拐しようとしました。しかし、女性に激しく抵抗されたため、その場を去ります。

 

「ティーンだったら抵抗されないだろう」と、翌日、今度は15歳の少女を連れ去ろうとしました。しかし、少女はすきを見て逃げ出し、近くにいた人に助けを求めたため、事なきを得ました。

 

さらに翌日、ブルードスは警備員になりすまし、ショッピングモールの駐車場を一人で歩いていた女性に声をかけ、自分の車に乗せました(残念ながらこの助成はブルードスの被害者の一人となってしまいました)。

 

このように、ブルードスは、犯行をエスカレートさせるだけでなく、犯行の手口も巧妙化させていったのです。

 

うぬぼれが仇になって逮捕

ブルードスは、自分が完全犯罪を実行していると自負していました。
遺体が発見されたというニュースを見ても、証拠は一切残していないので見つからないと、高をくくっていたほどです。

 

しかし、そううまくは生きませんでした。

 

遺体が相次いで発見されたことを受け、警察は学生に大規模な聞き込みを実施しました。そして、一人の女子学生が、被害者の話ばかりする怪しい男を覚えていたのです。その男こそがブルードスでした。

 

被害者の遺体に残されていたロープの縛り方は、電気工事関係の人間が使う方法だということまでわかっていました。ブルードスは電気エンジニア。さらに、ティーンに暴行を加えて逮捕され、精神病院に入れられた過去もあります。

 

警察は、容疑者として浮上したブルードスを訪れます。そして、ガレージで凶器とみられるロープを見つけましたが、捜査令状が無いため、それ以上捜査することはできませんでした。

 

それを見越したブルードスは、すっかり安心したかのように、ロープの一部を切って警察に渡すサービスぶりを見せました。そのロープは被害者に残されたものと一致したため、ブルードス逮捕に至ります。

 

1969年6月28日、ブルードスは3回の終身刑を言い渡され、服役し、服役中の2006年3月28日、肝臓癌で死亡しました。