トミー・リン・セルズ

トミー・リン・セルズ

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トミー・リン・セルズ(1964-2004)は、米国のシリアルキラーで、数十人もの人を無差別に殺害したことで知られています。彼は別名「The Coast to Coast Killer」または「The Cross Country Killer」と呼ばれていましたが、複数の州を股にかけて殺人を繰り返してきたことに由来します。

 

幼い子供も躊躇せずに手をかけるトミー・リン・セルズの残忍性は、生い立ちが部分的に影響しています。この、「部分的に」というのがミソですね。

 

彼のバックグラウンドを調べてみると、母親に愛情をかけてもらえず、早い時期から酒やドラッグ、犯罪に手を染めていたことがわかりました。しかし、彼の残忍さは生い立ちだけに原因を押し付けるには無理な面も感じられます。

 

セルズは、逮捕後のインタビューなどでも、自分が犯罪に手を染めたのは、生い立ちが原因していることを告白しています。ただ、彼の言い分を聞いていると、「生まれ持っている気質もあるのでは」と思えて仕方ありません。

 

トミー・リン・セルズの生い立ちを振り返りながら、彼の残忍性について考えてみたいと思います!

 

 

トミー・リン・セルズの生い立ち

トミー・リン・セルズは1964年6月28日に、カリフォルニア州オークランドで産声を上げる。母はニーナという未婚女性で、トミーにはタミー・ジーンという双子の妹がいた。生後18ヶ月の時、トミーとタミー・ジーンは髄膜炎を発症し、トミーは一命をとりとめたものの、タミー・ジーンは亡くなる。2歳のときトミーは、ミズーリ州ホルコムに住むおばに預けられ、5歳で母親に再び引き取られるまでおばの元で過ごした。

 

ニーナはトミーを理由もなくハンガーやベルトで激しく叩き、トミーの祖父母も止めに入ることはほとんどなかった。またニーナはトミーを育児放棄し、それが早期のアルコール摂取やドラッグに手を出すきっかけとなる。

 

7歳の時トミーは祖父に勧められたのをきっかけに飲酒をスタート。8歳になると母親公認のもと、ウィリス・クラークという近所の男にいたずらされる。10歳になった頃にはドラッグを乱用した。

 

13歳の時、真っ裸で、眠っている祖母のベッドに潜り込んだことをきっかけに家を追い出され、ニーナと残りの子どもたちもオークランドを去ったことから、トミーは完全にホームレスとなる。ニーナが去った数日後、トミーは激しい怒りに任せるまま、女性の後をつけて暴力を奮った。

 

ドリフターとして路上生活を余儀なくされていたが、1981年、17歳のトミーは、再び家族と共にアーカンソー州リトルロックに住む。しかし、シャワーを浴びているニーナのところに、裸で入り、トミーは再び家を追い出されてしまった。

 

トミーの酒量は増え、1982年、公の場で酩酊したとして逮捕される。1992年、ウエストバージニアで、物乞いする境遇に同情を示した19歳の女性をレイプし、瀕死の重傷を負わせて逮捕され、翌年2~10年の有罪判決を受けた。この頃トミーは双極性障害と診断されている。また彼はノラ・プライスという女性と獄中結婚し、保釈された1997年に、テネシー州に共に移り住んだ。

 

 

トミー本人が言うには、初めて殺人に手を染めたのは、15歳の時だったという。ある家に侵入すると、ちょうど男が少年にいたずらをしている最中で、それを見たトミーは、男を射殺した(本人の証言だけで、実際に立件されていない)。

 

トミーの殺人は1980年代から1999年の終わりまで続き、公式に確認されただけでも22件で、後に彼が語ったところによると、被害者は70名にのぼるという。

 

セルズ:俺は憎悪の塊だ

セルズの生い立ちを見ると、愛情の乏しい家庭で育てられたことがわかります。

 

お母さんが恋しい時におばに預けられ、自分の都合で再び引き取り、虐待とニグレクトを繰り返す。さらに、男にいたずらされたことを母親は黙認しました。身内がアルコールやドラッグを勧める環境というのも異常です。理由はどうであれ、14歳でホームレスという状況に追い込まれた時は、見捨てられた気持ちになったでしょう。このような環境下で、愛情ではなく憎悪を募らせていったことは容易に予想できます。

 

セルズはあるインタビューでこんな言葉を残しています:

I am hatred. When you look at me, you look at hate. I don't know what love is. Two words I don't like to use are 'love' and 'sorry,' because I'm about hate. (引用

 

俺は憎悪の塊だ。あんたが俺に目を向ける時、あんたは憎悪を見ている。俺は愛が何だか知らない。俺には使いたくない言葉が2つある。それは「愛」と「謝罪」だ。俺は憎悪を求めているからさ(拙訳)。

 

自分の全ては憎しみそのもの、と言っているようなものですね。「愛とは何か」がわからないというのは、周囲の人達から受けてこなかったことからではないでしょうか。またセルズは、子供の頃に受けた性的虐待の体験は心に深く残り、自分の殺人はその追体験のようなものだと、あるインタビューで答えたと言います。このことから、セルズの悲惨な生い立ちが人格形成に影響しているということは、紛れもない事実と言えるでしょう。

 

生い立ちだけでは説明できないセルズの残虐性

生い立ちが殺人に大きく影響を与えると言っても、それだけが殺人鬼・セルズを作ったわけではありません。なぜなら、セルズは生い立ちで片付けられないような残虐性を持っているからです。

 

セルズは、人間の邪悪さについて研究し、100人以上のシリアルキラーとインタビューをした精神科医マイケル・ストーン博士とのインタビューの中で、無差別に人を殺した理由を「血」だと答えています。老若男女にかかわらず、体内に血が流れているという点で同じとみなしていました。セルズは凶器にナイフを使用しましたが、被害者の喉が裂ける瞬間を見ることが病みつきになっていたようです(セルズはその気持を"sensation"(感覚)という言葉で表現しています)。

 

ストーン博士とセルズのインタビュー(英語):

 

 

セルズは1999年12月31日、テキサス州デル・リオにあるトレーラーハウスに侵入し、13歳の少女をレイプした後喉を切り裂いて殺害し、たまたま泊まりに来ていた10歳の少女の喉も切り裂きました(この女の子は一命をとりとめ、後日セルズの裁判で証言台に立ちます)。最も衝撃を受けたのは、逮捕されたセルズが事件を再現しているシーン。侵入してから被害者を襲い、喉を切り裂く動作など、淡々と説明していることに背筋が凍る思いがしました。

 

3:05頃からセルズが現場で事件を再現しています(英語):

 

セルズの頭の中には常に、抑えきれない怒りが渦巻いていたと言います。その怒りは子供の頃の境遇が関係しているかもしれませんが、血を求めて被害者を無差別に襲ったというのは、生い立ち云々というよりも、サイコパス的な気質を持っていたのでは、と思えてきます。セルズには他に兄弟がいましたが、殺人鬼となったのはセルズだけということからもわかるように、セルズの犯行は、生い立ちだけで説明できない部分もあると言えるのではないでしょうか。

 

殺人鬼・トミー・リン・セルズは生い立ちだけでは語れない

セルズ本人が言うように、子供の頃に体験した悲惨な体験は、彼の人格形成に影を落とし、殺人に駆り立てる要因のひとつです。しかし血の感覚に惹きつけられるなど、彼の残虐性を語るには、境遇だけでは説明が難しいと感じます。彼のインタビューを見ていても、言葉だけですべてを理解しようとするのは、限界があることがわかります。

 

いずれにしても、猟奇的な人間を構成している要素は複雑で、生い立ちはその一因であるとしたほうが、賢明でしょう。

 

子供の頃セルズの面倒を見ていたおばは、セルズを養子にしようと考えた時期があったようです。もし母親が引き取ることなく、おばが養母としてセルズを愛情いっぱいに育てたとしたら、セルズはシリアルキラーになることなく、平穏な人生を送っていたのでしょうか。それは誰にもわかりません。