グリーン・リバーキラー(ゲイリー・リッジウェイ)
被害者は90人近くと言われているグリーン・リバーキラーは、アメリカ犯罪史上最悪の連続殺人事件と言って良いでしょう。
これほど多くの被害者を出した事件の犯人なら、さぞかし極悪な人相をしていると思いきや、ゲイリー・リッジウェイの外見は、シリアルキラーと言うよりも、どこにでもいるようなおじさんのような風貌(逮捕されてから人相はとても悪くなりましたが)。
でもそれは表向きの顔で、中身は正に野獣。リッジウェイについて調べてみると、シリアルキラーとして彼を突き動かした原動力は、女性に対する激しい性欲と憎悪という、相反する感情ではという気がしてなりません。ここでは、ゲイリー・リッジウェイについて、「女性に対する激しい性欲と憎悪」という観点から描いてみようと思います。
ゲイリー・リッジウェイの生い立ち
1949年2月18日、ユタ州ソルトレクシティにて誕生。父はトーマス・リッジウェイ、母はメアリー・リッジウェイで、ゲイリーは次男。
トーマスはバスの運転手で、娼婦に対し強い嫌悪感を抱いていた。メアリーは威圧的な女性で、家族の中で主導権を握り、ゲイリーには過干渉な部分があった(ゲイリーは13歳までおねしょが治らず、メアリーはその度に彼の性器を洗っていたと言われている)。メアリーの過干渉はゲイリーが成人しても続き、2番目の妻によると、メアリーは息子の財布を握り、息子が着る服も選んでいた。
ゲイリーはIQが低く、ディスレクシア(読み書きが困難という学習障害のひとつ)を抱え、高校を1年留年する。16歳の時に6歳の少年を刺して重傷を負わせている。
1969年、19歳で高校を卒業したゲイリーは、当時のガールフレンドと結婚する。この結婚は2年で破局を迎え、1973年に2番目の妻と結婚した。2番目の妻との間に息子が誕生するも(1975年)、お互いの不倫が原因で1981年に離婚。1988年、3番目の妻と結婚、2人の結婚生活は、ゲイリーが逮捕される2001年まで続いた(2人は2002年に離婚)。
ゲイリーが女性をターゲットに殺人を犯すようになったのは、1980年代に入ってから。ゲイリーの犯行と断定されている中で最も古い事件は、1982年7月8日だ。以降1990年代まで女性を襲い、被害者の数は少なくとも49名(ゲイリーの犯行と断定された事件)、ゲイリーが容疑者と見られている事件を含めると、60件以上になる。ゲイリー本人は71名殺したと告白しているし、FBIは被害者の数を90名と見積もるなど、被害者の数にはバラツキがある。
ゲイリーがグリーン・リバーキラーと呼ばれるのは、遺体の多くをグリーン・リバー周辺の森に捨てていたことによる(シアトルタコマ国際空港や、ワシントン州キング郡南部に捨てることもあった)。
リッジウェイはグリーン・リバーキラーになる前から激しい性欲を持っていた
リッジウェイは、昔から強い性欲の持ち主でした。性欲の強い人は珍しくありませんが、リッジウェイの場合並大抵のものではなかったらしく、3人の元妻やガールフレンドたちは皆口を揃えて、「(リッジウェイから)1日に何度も求められた」と告白しています。
1番目の妻との結婚時代、リッジウェイは米国海軍に入り、にベトナムに派遣されました。現地で娼婦を買い漁っていたということですが、これも彼の性欲の強さを物語っています。
宗教に対する信仰心さえ性欲抑制には無力でした。布教を積極的に行うほど宗教に目覚めたにもかかわらず、娼婦とのセックスに明け暮れていたのです。
彼の欲情の強さを物語るエピソードはまだあります。単に交わるだけでは気が済まず、妻と公共の場でセックスしたがるようになりました。場所を変えて楽しむというのは、特に異常というわけではないかもしれませんが、時には自分の被害者を遺棄した場所でもセックスしたがるリッジウェイは、異常な性欲の持ち主と言えるでしょう。
女性に対し性的な執着と憎悪を抱いていたリッジウェイ
リッジウェイの場合、女性に対し性欲と同時に、激しい憎悪も抱いていました。そうでなければ数十人の女性を殺害することはしなかったはずです。
リッジウェイは思春期に、実母に対し性的魅力を感じていたと同時に、激しく憎んでいました。母親を殺すことを夢想するくらいですから、憎悪の念はかなり強かったと推測できます。
ベトナム時代娼婦を買い漁っていたリッジウェイは、淋病に感染してしまいました。病気をうつされたことにひどく憤慨していたにもかかわらず、その後も娼婦と無防備なセックスを繰り返していたというから「え、なんで?」とツッコミを入れたくなりますよね。予防が面倒くさかったのかもしれませんが、相手に対する激しい憎悪と、抑えがたい性欲のために求めてしまう、という正反対の感情が、リッジウェイの中でせめぎ合っていることが伝わるようなエピソードです。
近隣に住んでいた娼婦に対し嫌悪感を抱いていたにもかかわらず、お金を渡してサービスを受けていたというリッジウェイ。性欲が満たされた瞬間に、激しい憎悪が吹き出し、犯行に及んだのでしょうか。それとも…
数え切れないほど大勢の女性の命を奪ったリッジウェイ
抑えがたい性欲と憎悪は、リッジウェイの犯行手口によく現れています。被害者のほとんどは10~20代の娼婦または家出少女で、セックス(合意またはレイプ)をした後首を絞めて殺害、グリーン・リバー周辺の森などに遺棄しました。リッジウェイにとって娼婦や家出少女は誘いやすく、姿を消しても周囲に気づかれにくい、さらに性欲と憎悪を吐き出す対象として理想的でした。
リッジウェイは被害者の遺体を同じ場所に遺棄することを好み、複数の死体が眠る場所を「クラスター」と呼んでいました。しばしばクラスターに足を運び、屍姦していたということは知られていますが、好んで行為に及んでいたというよりも、性欲を処理することで、被害者を減らそうというのがリッジウェイの目的だったようです。
話が横道にそれますが、なぜリッジウェイは20年も逮捕されなかったのか、それにはいくつか要因があります。遺体を捨てた周辺に、どこからか拾ってきたガムや煙草の吸殻などをばら撒いたというのも、要因のひとつに挙げられています。リッジウェイはIQが低めということですが、こうした証拠隠滅に関する知恵はよく働いていたようです。
もし性欲が満たされ、女性に対して怒りが湧き上がらなければ、リッジウェイは大勢の女性を殺害することはなかったでしょう。それを裏付けるのが、リッジウェイの3番目の妻、ジュディス・モーソンの存在です。2人は1988年に結婚しましたが、リッジウェイは3番目の妻と結婚してから、ほとんど殺人事件を引き起こさなくなったからです。結婚後リッジウェイが引き起こした殺人事件は、3件(関与が疑われている事件を合わせても5件)にとどまっています。
リッジウェイの犯行は、1982年から1983年にかけて集中していますが(約40件)、これは2番目の妻と離婚してから(1981年)、ジュディスと出会う前(1985年)の期間と一致しています。
リッジウェイは、「心からジュディスを愛するようになり、殺人衝動が弱まった」と、ペニー・モアヘッドとのインタビューで語っているように、ジュディスとの結婚生活に大変満足していたようでした。ジュディス自身も、リッジウェイを働き者で優しい、理想的な夫として見ていました。
DNA鑑定結果が決定的な証拠となり、2001年11月30日、リッジウェイはグリーン・リバーキラーとして逮捕されました。同年12月18日、第1級殺人の罪で48回の終身刑を言い渡され(その他に1回の無期懲役)、ワラワラにあるワシントン州立刑務所に服役中です。
殺人衝動を引き起こすほど、リッジウェイの性的欲求不満はすさまじいものがあることがわかりました。性欲が満たされ幸せを感じる人生を送っていたなら、これほど被害者が出ることはなかったと思います。
リッジウェイの人格形成に母親の影響が大きく影響していると考えられますが、実母に対して性的魅力や殺したい衝動が自然に湧き上がっている点からすると、リッジウェイはもともとシリアルキラーとしての要素を持っていたのかも知れません。
理由はどうであれ、娼婦や家出少女を自分の欲望を満たす道具としてしか見ていなかったことは確かですよね。こうしたさまざまな要因がグリーン・リバーキラーを作り上げていますが、底なしの欲情と憎悪は、実行に移す起爆剤だったと言えるでしょう。