フレッド・ウエスト

フレッド・ウエストの残虐性は、家庭環境とローズが大きく影響している件

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フレッド・ウエスト(1941-1995)は、1960年代から1990年代にかけ、若い女性の命を無残に奪った、イギリスのシリアルキラーです。被害者を拉致、強姦・拷問を加え、最後はバラバラにして遺棄するという、おぞましい行為を繰り返してきたわけですが、被害者の中には実の子供もいると言うから胸クソ悪いです。

 

フレッドの生い立ちを調べてみると、モンスターが育ってもおかしくないほど歪んだ家庭環境だったことがわかりました。フレッドは妻のローズ(1953-)とともに、悪名高い殺人カップルとして語り継がれていますが、フレッドはローズと出会ったことで、殺人をエスカレートさせています。

 

家庭環境とローズの存在。フレッドの残虐行為を知るのに、この2つの要素は欠かせません。

 

フレッド・ウエストの生い立ち

フレッド(フレデリック・ウォルター・スティーヴン・ウェスト)は、1941年9月29日、ヘレフォードシャー州のマッチ・マークルで生まれました。父・ウォルターと母・デイジーには、フレッドを筆頭に8人の子供がいました。フレッドの家庭は、近親相姦が日常的に行われ、一般家庭とは程遠いものでした。

 

17歳の誕生日からおよそ2ヶ月後、フレッドはバイク事故で頭蓋骨を骨折するほどの重症を負います。1週間意識を失い、リハビリに数ヶ月を要しました。事故がきっかけで、フレッドは突然癇癪を起こす性格へと変わってしまいます。更に2年後、ユースクラブの一員だった女の子にパンチされた拍子に、2階から落ちて頭を強打しました。

 

21歳の時フレッドは、18歳のキャサリン・コステロと恋仲になります。2人が付き合い始めた時、キャサリンはすでにパキスタン人男性の子供を身ごもっていました。2人は1962年10月に結婚、グラスゴーに移り住みました。翌年キャサリンはシャーメインを出産、1964年には、2人の娘(アン・マリー)が誕生しました。

 

フレッドは移動式のアイスクリーム販売業を営んでいましたが、ある日不注意から幼児を轢き殺してしまいます。この事故をきっかけに、フレッドはグロスターに舞い戻りました。
1968年、フレッドは将来の妻であり、殺人のパートナーでもある15歳のローズと出会います。

 

フレッドが育った異様な家庭環境

フレッドの父・ウォルターは、「娘を犯すのは実父の特権」と言ってはばからず、近親相姦を正当化していました。娘と言っても小学校に上がるか上がらないかの年。一体何を考えているのか、とんでもないオヤジです。フレッドは、父親が自分の妹たちに手をかける様子を何度も目撃していたようです。

 

父親だけではありません。母親もまた異常で、フレッドに性的虐待を加えていました。フレッドは12歳の頃童貞を失いますが、その相手はデイジーだったと言います。

 

家族間に奔放な性生活がはびこっていたら、それが当たり前だと思うのも無理はありません。フレッドは19歳の時、13歳の妹をレイプし、妊娠させました。逮捕されたフレッドは、悪びれもせずに妹をレイプしたことを認めますが、周囲を驚かせたのは、「みんなもやっているだろ?」という態度でした。

 

デイジーは裁判でフレッドを弁護する側に立ち、13歳の妹は、裁判で証言することを拒否しました。そのためフレッドはそれ以上訴追されることはなく、事件後家族の元を離れ、キャサリンと出会います。

 

父親となったフレッドは、義理の娘も含め、自分の娘達にも性的虐待を加えました。やっていることはウォルターそっくりです。ただしフレッドは、ベビーシッターや下宿人など、周囲の女性を片っ端からレイプ、殺害した遺体を解体しましたが。フレッドはウォルターのことを心底尊敬していたと言います。この親にしてこの子あり。あまりにも世界が違いすぎます、やれやれ。

 

 

ローズ・ウエストがフレッドに与えた影響

フレッドはローズに出会う前、すでに殺人に手を染めていました(1967年)。初めての被害者はアン・マクフォールで、シャーメインとアン・マリーのベビーシッターであり、フレッドの愛人であった女性です。ですが、同じ価値観を持つローズと出会ったことで、レイプ・殺人を自由にできる環境が整っていきます。

 

ローズの生い立ち

ローズ(ローズマリー・レッツ)は1953年11月29日、ノートハムという、デヴォンにある小さな町で、父・ウィリアムと母・デイジーの5番目の子供として誕生しました(フレッドとローズの母は同じ名前とは奇遇です)。

 

父親には統合失調症からくる攻撃的行動があり、しばしば子どもたちに手を上げていたようです。ただ手を上げるだけでなく、ローズや姉のパトリシアには性的虐待も加えていました。

 

ローズは早熟で、早くから性に関心を持つようになりました。ローズにはグラハムとゴードンという2人の弟がいましたが、13~15歳の頃、2人の弟をレイプします。すでにお気づきかと思いますが、ローズの家庭環境もフレッドに通じるものがあり、ローズ自身にもモラルが欠如した性的な奔放さが見られます。ローズは、フレッドの熱烈なアプローチに根負けして付き合ったそうですが、2人が結ばれたのは、運命的だったのかもしれません。

 

 

実の娘も巻き込んだセックス三昧の日々

結婚したフレッドとローズは、クロムウェル・ストリート25番地に新居を構え、ローズの売春と、家賃収入で生計を立てていました。フレッドは、入居女性をはじめ、ベビーシッターをしていた十代の少女らとともにセックスパーティを楽しむだけでなく、実の娘にも売春を強要したり、レイプしたりしました。

 

普通の母親であれば、オヤジの行為を全力で阻止しようとしますが、ローズはフレッドの近親相姦について寛容でした。時には娘をレイプするフレッドに協力し、自らも性的虐待を加えたこともあります。育ちが育ちだから、というのもありますが、子どもたちにとっては、絶望的な親としか言いようがありません。2人の蛮行は1992年に入り明らかになりますが、2人の長女であるヘザーは、すでに殺害(1987年)されていました。

 

殺人に協力的だったローズ

1970年、フレッドは詐欺容疑で刑務所に送られました。その間ローズは1人で3人の子供(シャーメイン、アン・マリー、ヘザー)を育てていましたが、1971年6月20日、シャーメインを殺害します。殺害の原因は、虐待の延長と言われています。

 

その後出所したフレッドとともに、シャーメインの様子を見に来たキャサリンを殺害、以降分かっているだけでも実の娘を含む9人の命を奪いました。ローズは逮捕後一切の関与を否定しましたが、ヘザーが動かなくなるまで頭を蹴り続けていたのは、紛れもなく母親であるローズでした(当時7歳のビリーという息子が証言)。

 

フレッドはもともと女性の体に対し、異常に執着していたようで、殺害した被害者の体を解体し、妊娠していた被害者に関しては、胎児を取り出していました。自宅から発見された遺体のほとんどは、バラバラに解体された状態だったということですが、ローズの協力なしに、フレッドの悪行はここまでエスカレートすることはなかったでしょう。

 

 

フレッドとローズその後

フレッドとローズは1994年にヘザーの殺人容疑で逮捕されました。1995年の元旦に、フレッドはローズや子供らにあてた遺書を遺し、刑務所で首吊自殺しました。ローズは10件の殺人事件で終身刑を受け、服役中です。

 

もしかしたらフレッドは、生まれつき異様な性癖や、シリアルキラーとしての要素を持っていたかもしれません。先天的でも後天的でも、彼が育った家庭環境は、彼の逸脱した性行為や残虐行為を肯定たことには変わりありません。

 

さらに同じ価値観を持つローズと知り合うことで、その残虐性は助長されました。フレッドの行為は、「自分たち以外は人間と考えられなかったのだろうか」そんな疑問が残るほどおぞましいものです。シリアルキラーを形成する要因はいくつかありますが、フレッドの場合、家庭環境や伴侶の協力がそれにあたるでしょう。