テッド・バンディ

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クライム・サスペンスをよく観る人なら、1度は聞いたことがある名前、テッド・バンディ。バンディについて知りたいと言う人も多いのではないでしょうか。

 

彼の人生を年表で知るというのなら別ですが、ツッコミどころ満載のバンディを「こういうシリアルキラーです!」というのはかなり難しい面があります。

 

そこで今回は、「女性の敵」という視点から、バンディについて紹介したいと思います。

 

テッド・バンディの生い立ち

1946年11月24日、バーモント州バーリントンで産声をあげる。母親は17歳のエレノア・ルイーズ・カウエル、父親は不明。テッドは母親の祖父母と同居するが、祖父母を実の両親、実の母親は姉と言いきかされて育った。

 

1951年ルイーズがジョニー・カルペッパー・バンディと結婚したため、テッドはバンディ姓を名乗るようになる。

 

1966年ワシントン大学に入学、そこでステファニー・ブルックスと出会う。富・美貌・知性を兼ね揃えたステファニーは、テッドにとって理想の女性だったと言われる。しかし大学を中退し、仕事を転々とするテッドに愛想を尽かしたステファニーは、一方的に別れを告げテッドの元を去る(1968年頃)。

 

1969年ワシントン大学医学部の職員だったエリザベス・クレプファーと知り合い、激しい恋に落ちる。大学に復学したテッドは心理学を専攻、優秀な成績で卒業すると(1972年)、共和党ワシントン州支部長のロス・デイビスに気に入られ、彼の助手となった。この頃テッドはステファニーとよりを戻しているが、エリザベスと二股をかけていた。1974年になると、テッドとステファニーの間に「結婚」の2文字が浮かぶようになるが、テッドはある日突然、理由も言わずステファニーへの連絡を断ってしまった。

 

テッドの初めての殺人は、はっきりしていないが、1960年代の終わりから、1970年代の初め頃と言われている。あやふやなのはテッド自身供述をコロコロ変えているため。判明している中で一番古い殺人は1974年で、以降ワシントン州やフロリダ州など複数の州で、30人以上の若い女性を惨殺した。被害者の中にはかろうじて一命をとりとめたものの、醜い後遺症に苦しめられている人もいる。

 

 

 

テッド・バンディは昔から女性を激しく憎んでいた

バンディは自分の生い立ちを憎んでいました。自分の中に理想像があったのかも知れませんね、「お金と権力を持った両親のもとに生まれた、頭のいいテッド」みたいな。でも現実は全く逆で、母は未婚、しかも父親が誰だかわからない。父親の素性を明かさない母親に対し、バンディは激しい憎悪を抱いていたと言われます。

 

そして、バンディをシリアルキラーに目覚めさせるきっかけを作ったとして有名なのが、ステファニー・ブルックスの存在。理想の女性に一方的に捨てられたというのが、かなり屈辱的だったようです。バンディは彼女とよりを戻しますが、今度は一方的にステファニーを捨てます。バンディが後に語ったところによると「自分には彼女と結婚できるだけの価値があったと証明したかった」というのが、復縁理由だったそう。女性をその気にさせて地獄に突き落とすというのは、彼のお決まりの手口ですね。

 

ステファニーが、シリアルキラー・バンディに強く影響していると言われるもう一つの理由は、被害者の全員が白人女性で、そのほとんどが長いストレートの髪を真ん中で分け、ステファニーと外見が似ていたからでした。これだけ被害者同士に共通点があると、ステファニーに対して激しい憎悪を抱き続けていたと解釈されても仕方ないですね。しかも被害者の大部分は女子大生だったわけですから…。

 

もしかしたらバンディは、ステファニー似にこだわらず、被害者を無意識に選んでいたのかも知れません。たとえそうだとしても、一つだけ言えることは、被害者たちは彼の好みのタイプだったということ。昔から盗み癖があったバンディですが、欲しい物を選んで盗んでいました。そうした性格から考えると、あえて自分の好みの女性を被害者として選んだとしても、不思議ではありません。

 

被害者を完全にコントロールすることに満足感

テッド・バンディは複数の犯行手口を持っていましたが、共通しているのは暴力で被害者の自由を奪い、相手のすべてを完全にコントロールするという点にあります。例えば、寝ている女性の部屋に侵入、暴力で自由を奪った後強姦するという手口。1974年1月4日に発生した事件では、ワシントン大学に通っていた女学生に対し、ベッドフレームに使用されていた鉄の棒で、意識を失うまで被害者を激しく殴った後、内臓に損傷を与えるほどの激しい性的暴行を加えました。

 

愛車のフォルクスワーゲンで被害者を物色、けが人や困っている人を装って被害者に近づくという手口も、好んで使っていました。ソフトな物腰の好青年・バンディに好印象を抱く被害者も少なくなく、相手が警戒心をほどいた途端に豹変、意識を失うまで殴り、その後欲望の赴くままに被害者を嬲り者にしました。

 

バンディの犯行を知ると、外見とのギャップがあまりにも大きすぎて、言葉を失う人も少なくありません。バンディはそんな自分の魅力を完全に理解していました。自分の魅力と相手の親切心を利用して暴力で支配、最後には命を奪う。人間の尊厳を破壊するような行為、本当に邪悪なモンスターです。

 

死後も被害者を弄び続けたバンディ

バンディは12名の被害者の首を切り落とし、それを保管していました。記念品として飾っておきたかったのか、それとも永遠に自分のものとなったことに喜びを感じたからでしょうか。どちらにしても被害者を弄ぶことに変わりはありません。

 

また、遺体を捨てた場所に時々戻り、屍姦を繰り返すこともしていました。骸骨に射精するなど、その所業は、名プロファイラーとして活躍したロバート・K・レスラー(1937-2013)も「おぞましい」と言葉を吐き捨てたほど。

 

死体を暴力的に扱うだけでなく、化粧を施したり髪の毛をとかしたりしたとも言われています。死人に対し、やりたい放題ですね。相手のことなどまるっきり考えず、死者を弄ぶバンディは、人間の仮面をかぶった悪魔としか言いようがありません。

 

自分にかかわる女性を手玉に取るバンディ

逮捕後もバンディは自分の魅力を振りまき、周りにいる大勢の女性たちの心をつかみました。バンディの姿をひと目見ようと熱狂する、グルーピーと呼ばれる女性たち。自分に夢中になる女性の存在を楽しむかのように、チャーミングに自分を見せるバンディ。どんなにカッコつけたって囚人服じゃん!

 

バンディの無実を信じ、死刑回避に奔走した女性たちもいました。1974年に付き合っていたキャロル・アン・ブーンは、バンディの無実を信じ、彼の弁護をするだけでなく、獄中結婚、さらには子供までもうけ、バンディ一筋でした。バンディの裁判では、ダイアナ・ウェイナーも重要な役割を果たしています。ウェイナーはフロリダ州の弁護士で、バンディの遺族に対し、彼の死刑延期を知事に訴えるよう働きかけるなど、バンディの擁護に積極的に関わっていました。ウェイナーはバンディの最後の愛人とも呼ばれ、そのことに対してブーンは深く傷ついたと言われています。

 

1989年1月24日、バンディの電気椅子による死刑が執行されました。バンディの死に対し、さまざまな反応がありましたが、いわゆる「バンディロス」を起こしたグルーピーも少なくなく、バンディの死に落胆し、ノイローゼになってしまったという人も。

 

1970年代、当時ワシントン大学に在籍していたバンディは、シアトルにある自殺防止ホットライン緊急センターに勤め、そこでアン・ルール(1931-2015)と知り合います。ルールは後に犯罪伝記作家になった人物で、生前はバンディを特集したテレビ番組にもよく出演していました。彼女によると、バンディの死を嘆き悲しんでいたほとんどの女性は、バンディと文通をしていて、バンディにとって自分は特別な存在だと、信じて疑わなかったということです。

 

人に仕切られることが大嫌い、反対に人を自分の好きなようにコントロールすることで、大きな優越感を得ることを好んでいたバンディ。自分にかかわる女性たちを翻弄し、死後も影響を与え続けています。バンディに関する書籍が出版されたり、映画化されたりと、バンディの名前は今もあせることはありません。虚像に惑わされる女性が一人でも少なくなることを願うばかりです。